「ワンピースの黒ひげのモデルって誰?」と気になったことはありませんか?
『ワンピース』に登場する黒ひげことマーシャル・D・ティーチは、作中でも異彩を放つ存在です。
破天荒な野心と圧倒的な強さを兼ね備え、あの白ひげの力すら奪い取るほどの策略家。
しかし、彼には実在した伝説の海賊エドワード・ティーチというモデルがいるのをご存じでしょうか?
エドワード・ティーチ、通称「黒ひげ」は、18世紀初頭に大西洋を恐怖に陥れた海賊です。
黒く長い髭を伸ばし、その髭に導火線を編み込んで戦場を煙で包む姿は、まるで悪魔のようだったと伝えられています。
彼の名を聞くだけで航海士たちは震え上がり、船を放棄して逃げ出すほどの恐怖を植え付けたといいます。
しかし、彼の物語は単なる海賊の武勇伝では終わりません。
ティーチは巧妙な戦略で勢力を拡大し、ついにはイギリス政府すら手を焼く存在にまで成長しました。
彼は本当にただの残忍な海賊だったのか、それとも時代に翻弄された知恵者だったのか?
この記事では、ワンピースの黒ひげのモデルとなったエドワード・ティーチの生涯を追いながら、その恐るべき海賊人生を紐解いていきます。
実際の黒ひげの人生を知れば、『ワンピース』の黒ひげの見方も大きく変わるかもしれません。
さあ、伝説の黒ひげの物語をひも解いていきましょう。
黒ひげのモデル エドワード・ティーチとは?

引用 ウィキペディア
伝説の海賊・黒ひげが生まれた瞬間
エドワード・ティーチの生年は1680年頃とされていますが、彼の生い立ちについてはほとんど記録がありません。彼はどのようにして悪名高い海賊へと成り上がったのでしょうか?
彼の名前が歴史に登場するのは、スペイン継承戦争(1701〜1714年)の時代。
ティーチはこの戦争でイギリスの私掠船(政府公認の海賊船)の一員として活躍していたと考えられています。
戦争が終わると、彼は職を失い、多くの私掠船の船員と同様に、本当の海賊へと転身していきました。
彼が本格的に海賊の道を歩み始めたのは1716年頃。
その頃、彼はベンジャミン・ホーニゴールドという海賊船長の部下として活動し、次第に頭角を現していきました。
ティーチの並外れた戦闘能力と冷酷な判断力はすぐに認められ、彼は独立して自らの海賊団を結成します。
ここから、黒ひげと呼ばれる男の伝説が始まったのです。
恐怖の象徴「アン女王の復讐号」とは?
1717年11月、エドワード・ティーチはフランスの奴隷船「ラ・コンコルド号」を拿捕しました。
この船は、元々フランス海軍の所有物であり、大西洋を横断してアフリカから奴隷を運ぶために使用されていました。
しかし、長い航海による疲弊と、黒ひげ率いる海賊団の奇襲により、船の乗組員はなすすべもなく降伏しました。
ティーチはこの船を自分の旗艦とし、「アン女王の復讐号(Queen Anne’s Revenge)」と名付けました。
この名前には、彼がかつて従事していたイギリスの私掠船時代の名残が見え隠れします。
アン女王とは、1702年から1714年までイギリスの王座にあった君主であり、彼女の治世の間、ティーチは私掠船の船員としてスペイン継承戦争に参加していました。
しかし、戦争が終結するとともに、彼のような私掠船乗りは職を失い、多くが海賊へと転身しました。
ティーチにとって、「アン女王の復讐号」という名前は、かつて忠誠を誓った国家と王室に対する皮肉を込めたものだったのかもしれません。
最強の海賊船への改造
ティーチは「ラ・コンコルド号」を単なる略奪品としてではなく、史上最強の海賊船へと改造しました。
通常の海賊船は、スピードと機動力を重視し、装備する大砲も6〜12門程度が一般的でした。
しかし、ティーチは「アン女王の復讐号」に40門もの大砲を搭載し、軍艦顔負けの火力を誇る巨大戦艦へと変貌させたのです。
この圧倒的な武装により、彼の海賊団は商船や軍艦を恐れず襲撃することが可能になりました。
事実、ティーチの戦法は「攻撃する前に敵を震え上がらせる」ことが特徴的でした。
遠くからでも見える巨大な船体、そして圧倒的な火力を誇るその姿は、海上のどの船よりも威圧的な存在でした。
航海士たちは「アン女王の復讐号」の黒い帆を目にした瞬間、戦うことを諦め、積み荷を差し出す者も多かったといいます。
ティーチは、この心理的な恐怖を利用して、戦わずして勝つことを何度も成功させていたのです。
チャールストン港の封鎖と海賊支配
1718年5月、ティーチは「アン女王の復讐号」を率いて、アメリカ植民地のサウスカロライナ州チャールストン港を封鎖しました。
この作戦は、単なる略奪ではなく、港全体を人質に取るという、大胆かつ巧妙な戦略でした。
チャールストンの住民は恐怖に陥り、ティーチの要求をのまざるを得ませんでした。
彼は医薬品を要求し、もし従わなければ捕虜を処刑し、その首を総督に送りつけると脅しました。
なぜ医薬品を求めたのかについては諸説ありますが、ティーチ自身または彼の仲間が病に苦しんでいた可能性が高いと考えられています。
この大胆な作戦は成功し、チャールストンの総督は要求された医薬品を提供。
ティーチは約束通り捕虜を解放しましたが、その際に乗組員たちの持ち物はすべて奪われていました。
この事件により、「アン女王の復讐号」の名は、より一層恐れられるものとなったのです。
突然の座礁と疑惑の裏切り
しかし、順調だった「アン女王の復讐号」の航海にも突然の終わりが訪れます。
1718年6月、ノースカロライナ州のボーフォート湾で、この巨大な海賊船は突如として座礁してしまったのです。
これにより、「アン女王の復讐号」は動くことができなくなり、ティーチはやむを得ずこの船を放棄。
彼の海賊団の一部は解散を余儀なくされました。
しかし、この座礁事故には大きな疑問が残ります。
海賊仲間の証言によると、ティーチは意図的に「アン女王の復讐号」を座礁させた可能性があるのです。
なぜなら、彼の海賊団はこの頃には大規模になりすぎていたため、一部の部下を切り捨てる必要があったのではないか、と考えられています。
また、巨大で目立ちすぎる「アン女王の復讐号」は、軍艦に追われるリスクも高くなっていました。
そのため、あえてこの船を捨て、身軽に動ける新しい船で行動するつもりだったのではないか、という見方もあります。
実際、ティーチはこの座礁の直後、わずかな側近だけを連れてノースカロライナに向かい、恩赦を受けています。
これは偶然の出来事だったのか、それとも計算された策略だったのか。
今となっては知る由もありませんが、「アン女王の復讐号」の最期は、黒ひげの人生においても重要な転機となったことは間違いありません。
「アン女王の復讐号」は単なる海賊船ではなかった
「アン女王の復讐号」は、単に黒ひげの旗艦というだけではなく、彼の戦略そのものを象徴する船でした。
この船によって彼は海賊としての絶頂期を迎えましたが、同時にその強大な存在感ゆえに、彼の終焉を早めたとも言えます。
ワンピースに登場する黒ひげ(マーシャル・D・ティーチ)も、「闇の時代を作る」と宣言するように、圧倒的な力で世界を変えようとしています。
現実の黒ひげもまた、巨大な力を持ち、その力を行使しながらも、その野望のためにすべてを捨てた男でした。
彼の伝説を語る上で、「アン女王の復讐号」は、決して欠かせない存在なのです。
黒ひげが海を支配するために使った策略
エドワード・ティーチ、通称「黒ひげ」は、単なる力任せの暴力的な海賊ではありませんでした。
彼が名を馳せた理由は、恐怖を武器とした策略と、知略を駆使した巧妙な戦い方にありました。
彼はただの海賊ではなく、まるで舞台俳優のように自らを演出し、敵に戦う気を失わせることに長けていたのです。
その戦略はまさに「心理戦」の極みでした。
黒ひげはどのようにして、大西洋を恐怖で支配したのでしょうか?
自らを“悪魔”に見せる演出
黒ひげは、戦う前から敵に恐怖を植え付けるための演出にこだわっていました。
彼の最大の武器は、自身の異様な風貌と恐怖を誘う演出です。
彼は漆黒の長い髭を三つ編みにし、その先に導火線を結びつけました。
そして、戦闘が始まる前に、その導火線に火をつけ、煙をもうもうと立ち上らせながら敵に迫ったのです。
夜の海の上で、顔の周りに煙をたなびかせながら現れる黒ひげの姿は、まるで地獄から這い出てきた悪魔そのものでした。
目の前に現れるのは、無数の剣とピストルを身につけ、煙をまとった巨漢。
それを見た敵の船員たちは、戦う前から恐怖に震え、降伏する者も少なくなかったといいます。
海賊はただの暴力集団ではなく、敵を支配するためには心理的な優位を確保することが重要でした。
黒ひげはまさに、それを理解し、徹底して実践していたのです。
戦わずして勝つという戦略
黒ひげのもう一つの特徴は、「無駄な戦いをしない」ことでした。
彼は力ずくで勝つのではなく、戦う前に勝敗を決めることを重視していました。
そのために、船を襲撃する際には必ず大掛かりな演出を行い、相手に「抵抗しても無駄だ」と思わせるのです。
たとえば、彼がターゲットにした商船に近づくとき、遠くからでもわかるように大砲を鳴らし、船の上で炎を焚きました。
それだけで、敵の船員たちは「黒ひげが来た」と察し、恐怖に陥ります。
そして、黒ひげの船が接近すると、その巨体と武装の凄まじさに圧倒され、すでに戦う気力を失ってしまうのです。
彼の軍勢は、数も多く、しかも全員が歴戦の海賊ばかり。
商船の船員たちにとっては、戦うよりも荷を差し出して命を助けてもらう方がはるかに現実的な選択でした。
その結果、黒ひげはほとんど抵抗されることなく略奪を成功させることができました。
戦わずして勝つ。
それこそが、黒ひげの最大の強みだったのです。
敵を欺く知略
黒ひげは単なる海賊ではなく、狡猾な策略家でもありました。
彼は時に敵だけでなく、味方ですら欺き、必要とあれば仲間をも切り捨てる冷徹さを持っていました。
その代表的な例が、「恩赦を受ける」という策略です。
1718年、イギリス政府は海賊に対して恩赦を与えるという布告を出しました。
多くの海賊がこれを機に足を洗い、新たな人生を歩むことを決めました。
しかし、黒ひげは違いました。
彼はこの恩赦を「利用する」ことにしたのです。
ノースカロライナ州のバースへ向かい、総督チャールズ・イーデンに降伏。
「今後は海賊行為をやめる」と誓い、正式に赦免を受けました。
しかし、実際にはその後も密かに略奪を続けていたのです。
総督の裏で賄賂を渡し、見て見ぬふりをさせることで、公式には「更生した善良な市民」を装いながら、密かに海賊活動を続けていました。
黒ひげは、権力すらも利用し、自分の生き残る道を確保していたのです。
黒ひげの策略が恐れられた理由
黒ひげの強さは、単なる武力ではありませんでした。
彼の本当の武器は、「恐怖」「知略」「心理戦」の三つだったのです。
- 戦う前に恐怖を与えることで、敵を降伏させる
- 戦わずに勝てる状況を作り出し、無駄な戦いをしない
- 必要とあらば仲間ですら欺き、冷徹な判断を下す
これらの策略があったからこそ、彼は短期間で大西洋を恐怖で支配する存在となったのです。
彼の生涯は、まさに知略の海賊王と呼ぶにふさわしいものでした。
恩赦を受けた黒ひげは本当に改心したのか?
1718年、イギリス政府は海賊たちに向けて、ある決断を下しました。
「過去の罪を帳消しにする代わりに、今後は海賊行為をやめるように」という恩赦の布告です。
この決定は、多くの海賊たちにとってまさに「救済」でした。
イギリス海軍の取り締まりが強化され、海賊たちの逃げ場が少なくなっていた当時、多くの者がこの恩赦を受け入れ、新たな人生を歩み始めました。
しかし、黒ひげ(エドワード・ティーチ)は違いました。
彼は本当に改心し、海賊をやめるつもりだったのでしょうか?
答えは「否」です。
黒ひげはこの恩赦を利用し、新たな策略を巡らせていたのです。
黒ひげの「計算された降伏」
黒ひげは、単なる暴力的な海賊ではなく、策略に長けた男でした。
彼はイギリス政府の恩赦が、単に「更生の機会」ではなく、新たな生き残りの手段になり得ることを理解していました。
彼が選んだのは、ノースカロライナのチャールズ・イーデン総督の元へ向かい、自ら降伏するという行動でした。
イーデン総督は、比較的海賊に寛容な姿勢を取っており、黒ひげにとっては理想的な交渉相手だったのです。
彼はこうして正式に赦免を受け、**「改心した善良な市民」**として新たな生活をスタートしたように見えました。
しかし、これはあくまで表向きの話でした。
黒ひげは、恩赦を受けた後も、密かに海賊行為を続けていたのです。
黒ひげは本当に海賊をやめたのか?
黒ひげは、恩赦を受けた後も、ノースカロライナ州のバースを拠点に活動を続けました。
彼は表向きには「海賊をやめた男」として振る舞いながら、裏では密かに海賊行為を続けていたのです。
この時期、彼は以前ほど派手な襲撃を行わず、むしろ慎重に動いていました。
一部の歴史家は、この時期の黒ひげの行動について、「総督イーデンとの密約があったのではないか」と推測しています。
つまり、黒ひげは政府の監視をかわしながら、ある程度の自由を確保するために、総督側と何らかの取引をしていた可能性があるのです。
彼は時折、政府の目を欺くために商人のふりをして堂々と町を歩き回り、バースの住民たちと親しく交流していました。
しかし、裏では密かに仲間と接触し、略奪した物資を取引していたといわれています。
総督の庇護のもとで海賊行為を続ける。
この黒ひげのやり方は、まさに策略家ならではの行動でした。
なぜ黒ひげは再び討伐対象となったのか?
黒ひげの策略は一見成功したかのように思えましたが、長くは続きませんでした。
彼の密かな海賊活動は、やがて政府の知るところとなり、再び討伐対象となってしまったのです。
この時期、イギリスはカリブ海周辺の海賊撲滅に本腰を入れ始めていました。
その一環として、特に黒ひげのようなかつて大規模な海賊団を率いた者たちは、政府にとって危険な存在として見なされていました。
特に、総督イーデンとの関係が噂されるようになると、黒ひげの存在は政府にとって厄介なものとなりました。
「海賊が政府の庇護のもとで自由に活動している」
そんな話が広まれば、イギリス政府の権威は失われかねません。
そこで、黒ひげを完全に排除するため、イギリス海軍のロバート・メイナード中尉に討伐命令が下されたのです。
黒ひげは「改心」したのではなく、機会をうかがっていた
黒ひげが恩赦を受けたのは、単に政府の許しを得るためではありませんでした。
彼はそれを利用し、より安全に海賊行為を続けるための手段としていたのです。
彼は単なる暴力的な海賊ではなく、冷静に状況を判断し、自らの生き残る道を模索する知略の持ち主でした。
しかし、その策略も長くは続かず、政府による討伐の対象となり、最終的にはロバート・メイナードとの死闘へとつながっていくことになります。
黒ひげは決して「改心」などしていませんでした。
彼は最後まで「生き残るための方法」を模索し続けていたのです。
イギリス海軍との死闘!黒ひげの最期
1718年11月、エドワード・ティーチ、通称「黒ひげ」は、ついに最期の瞬間を迎えます。
彼が最後に潜伏していたのは、ノースカロライナ州のオクラコーク島でした。
そこは密貿易の拠点としても知られ、黒ひげにとっては理想的な隠れ家でした。
しかし、彼の動向を警戒していたイギリス海軍は、彼を完全に排除する決意を固めていたのです。
ロバート・メイナード中尉は、イギリスのバージニア総督アレクサンダー・スポッツウッドの命を受け、密かに討伐計画を進めていました。
黒ひげが政府の恩赦を受けながらも裏で海賊行為を続けていたことは、すでに広く知られていました。
もはや彼を生かしておく理由はありませんでした。
こうして、黒ひげの最期の戦いが幕を開けることになります。
オクラコーク島での奇襲
1718年11月22日、夜が明ける前の静かな海に、メイナード率いる二隻の武装スループ船が忍び寄っていました。
黒ひげは、前夜まで盛大な酒宴を開いていたといわれています。
彼の船「アドベンチャー号」は、仲間たちとともに波間に漂い、島の入り江に停泊していました。
夜が明けると同時に、メイナードは一気に奇襲を仕掛けます。
彼の作戦は、最初に黒ひげの船を砲撃し、その混乱の隙に乗り込むというものでした。
しかし、黒ひげもただの海賊ではありません。
砲撃を受けるや否や、すぐさま反撃を開始しました。
彼の船はそれほど大きくはなかったものの、そこには彼が厳選した精鋭の部下たちが乗っていました。
黒ひげは、逃げるどころか真正面からイギリス海軍と戦う道を選びます。
彼にとって、この戦いは単なる生死の問題ではありませんでした。
黒ひげは最後まで、伝説の海賊としてその名を残そうとしていたのです。
黒ひげ、決死の白兵戦へ
黒ひげの船とメイナードの船が衝突すると、彼は即座に乗り込み、白兵戦を仕掛けました。
海賊たちは容赦なく剣を振るい、銃を撃ち、死力を尽くして戦います。
しかし、メイナードは一つの策を用意していました。
彼は黒ひげの乗り込みを誘い込むために、船の甲板を意図的にがら空きにし、兵士たちを船底に隠していたのです。
黒ひげが船に乗り込んだ瞬間、メイナードの合図とともに兵士たちが一斉に飛び出しました。
気づいたときには、すでに黒ひげたちは包囲されていました。
彼の部下たちは次々と倒れ、黒ひげも敵の猛攻を受けます。
しかし、彼は驚異的な耐久力を見せ、5発の銃弾を受け、20ヵ所以上の刀傷を負いながらも戦い続けました。
どんなに斬られ、撃たれても、黒ひげはまるで悪魔のように倒れませんでした。
周囲の兵士たちは「この男は本当に人間なのか」と恐怖を抱いたといいます。
伝説の終焉
最後の決着をつけたのは、ロバート・メイナード本人でした。
黒ひげの剣がメイナードの剣を打ち砕いたその瞬間、背後から一人の兵士が黒ひげの首元に深々と剣を突き立てました。
その一撃で、ついに黒ひげの体は力を失い、膝をつきます。
しかし、彼はまだ死んではいませんでした。
兵士たちは一斉に黒ひげを取り囲み、さらに銃弾を撃ち込み、刀を振るいました。
そして、最後の最後に、メイナードが黒ひげの首を切り落としたのです。
戦いが終わったあと、兵士たちは戦慄しました。
黒ひげの遺体には、銃弾5発、刀傷25ヵ所が刻まれていたのです。
彼は最後の最後まで、海賊としての誇りを貫いたのでした。
黒ひげの首がもたらした恐怖
戦いのあと、メイナードは黒ひげの首を船の船首に掲げました。
これは、他の海賊たちへの警告の意味を持っていました。
「黒ひげすら倒された。もはや海賊の時代は終わったのだ」と示すためです。
黒ひげの遺体は、その後ノースカロライナ州の海へと投げ捨てられたといわれています。
しかし、地元の漁師たちは、黒ひげの首のない亡骸が何度も海の中を泳ぎ回るのを目撃したと語っています。
「黒ひげの呪いだ」
そう囁かれるようになり、彼の伝説は死後もなお語り継がれていきました。
黒ひげの死は何を意味するのか?
黒ひげの死は、単なる海賊の終焉ではありませんでした。
それは、海賊黄金時代の終焉を象徴する出来事だったのです。
彼が倒されたあと、イギリスはさらに海賊討伐を強化し、多くの海賊たちが処刑されていきました。
しかし、彼の名は決して消えることはありませんでした。
ワンピースに登場する黒ひげ(マーシャル・D・ティーチ)も、どこかこの史実の黒ひげと重なります。
彼らはどちらも、力と知略を駆使し、恐怖と伝説を生み出した存在です。
黒ひげは死んでも、その名は永遠に海に刻まれ続けるのです。
ワンピースの黒ひげと史実の黒ひげとの共通点
『ワンピース』に登場する黒ひげ、マーシャル・D・ティーチは、海賊漫画の中でも特に異質な存在です。
彼は「Dの一族」でありながら、どこか計算高く、抜け目のない策略家。
その姿は、ただの力任せな悪党ではなく、狡猾でありながらも恐怖を利用する知略の持ち主として描かれています。
しかし、このキャラクターが単なるフィクションではなく、実在した海賊エドワード・ティーチ(黒ひげ)をモデルにしていることは、ファンの間でもよく知られています。
では、史実の黒ひげと『ワンピース』の黒ひげにはどのような共通点があるのでしょうか?
恐怖を武器とした戦略
史実の黒ひげは、単なる暴力的な海賊ではありませんでした。
彼が恐れられた最大の理由は、**「戦う前に敵を圧倒する心理戦の達人」**だったからです。
彼は戦闘の際、長い黒髭を三つ編みにし、その先に導火線を結びつけ、火をつけました。
戦場では顔の周りに煙が立ち込め、まるで悪魔が現れたかのような異様な姿になったのです。
さらに、彼は大量の武器を体中に装備し、敵船の前に立つだけで、**「この男と戦えば生きて帰れない」**と思わせるような演出を徹底していました。
一方、ワンピースの黒ひげもまた、敵を恐怖で圧倒するキャラクターとして描かれています。
彼は「ヤミヤミの実」の能力を使い、あらゆるものを飲み込む闇を操ることで、圧倒的な恐怖を植え付けます。
また、彼は強敵である白ひげの能力を奪い取り、さらに最強へと進化しました。
この「力を奪い、さらなる恐怖の象徴となる」姿勢は、史実の黒ひげが、海賊仲間ですら裏切り、自らの勢力を強化していった手法とよく似ています。
戦わずして勝つ戦略
黒ひげは、力ずくで戦うよりも、まず敵が戦意を喪失する状況を作り上げることを得意としていました。
彼の船「アン女王の復讐号」は、通常の海賊船とは比べ物にならないほどの火力を誇り、その巨大な船影が見えるだけで、多くの船は戦わずして降伏しました。
これは、『ワンピース』の黒ひげにも通じるものがあります。
彼はルフィやエースといった強者に挑む際、決して真正面からぶつかるのではなく、戦略を駆使して彼らを追い詰めました。
例えば、エースとの戦いでは、ヤミヤミの実の能力を使い、彼の能力を封じた上で勝利しています。
また、マリンフォードでは白ひげが衰弱するのを待ち、絶妙なタイミングで襲いかかることで、能力を奪うことに成功しました。
このように、「戦いを仕掛ける前に、勝てる状況を作る」という戦略は、史実の黒ひげと完全に一致しているのです。
史実の黒ひげは、ワンピースの黒ひげの「知略」と「恐怖」の原点
こうして比較してみると、ワンピースの黒ひげは、単なるフィクションのキャラクターではなく、史実の黒ひげの特徴を色濃く反映させた存在であることがわかります。
・「恐怖で敵を圧倒する」というスタイル
・「戦わずして勝つための策略」
・「仲間をも利用し、自らの勢力を拡大する冷酷さ」
これらは、史実の黒ひげが持っていた要素そのものです。
ワンピースの黒ひげは、今後どのように世界を混乱に陥れるのでしょうか?
もしかすると、史実の黒ひげが成し遂げられなかった「最強の海賊王」という称号を、彼が掴む日が来るのかもしれませんね。
黒ひげ海賊団のメンバー一覧
提督|マーシャル・D・ティーチ(黒ひげ)
かつては白ひげ海賊団の一員だったが、「ヤミヤミの実」を手に入れるために仲間を殺し、脱退。
その後、マリンフォード頂上戦争の混乱に乗じて白ひげの能力「グラグラの実」を奪取し、二つの悪魔の実を操る史上初の存在となった。
野心家であり、計画的な策略家。
世界政府をも凌駕する勢力を築き上げるべく、危険な猛者たちを次々と仲間に引き入れている。
彼の戦闘スタイルは独特で、悪魔の実の力に依存しつつも生まれ持ったタフさと戦略眼で相手を圧倒する。
黒ひげはDの意志を持つ者の一人であり、その存在自体が世界の秩序を揺るがしている。
1番船船長|ジーザス・バージェス(チャンピオン)
黒ひげ海賊団の初期メンバーであり、船団の第一番船船長を務める。
怪力無双の肉体派であり、己の拳のみで相手を打ち砕くほどのパワーを誇る。
彼は戦場を熱狂する格闘技の舞台と捉えており、戦うこと自体を楽しんでいる。
ドレスローザ編では革命軍の基地を探り、サボと対峙するも敗北。
その後、「リキリキの実」を手に入れ、超人的な怪力を得たことでさらなる脅威となった。
彼の戦闘スタイルは、巨岩をも砕く強烈な打撃に加え、体術を駆使して相手を圧倒するものだ。
2番船船長|シリュウ(雨のシリュウ)
元インペルダウンの看守長であり、かつてはその冷酷な性格ゆえに投獄されていた。
しかし黒ひげによって解放され、今や二番船船長として忠誠を誓う。
彼は黒ひげ海賊団内でも随一の剣士であり、その剣の腕前は伝説級ともいわれる。
「スケスケの実」の能力者となり、透明化を駆使して暗殺を行う。
彼の無慈悲な戦闘スタイルは、相手の視界から消え、一瞬で命を奪うというもの。
かつてのインペルダウン時代から恐れられていた男が、悪魔の実の力を手にしたことで、さらに危険な存在となった。
3番船船長|ヴァン・オーガー(音越)
黒ひげ海賊団の狙撃手であり、超人的な射撃精度を誇る。
どんな距離からでも標的を撃ち抜く「音越」の異名を持つ。
彼の冷静沈着な性格は、狙撃手としての資質にぴったりであり、一撃必殺の精密な射撃を可能にしている。
ワノ国編以降、「ワプワプの実」の能力者となり、瞬間移動を駆使した狙撃戦を展開する。
これにより、狙撃手としての脅威がさらに増し、戦場全体を自在に移動しながら遠距離からの攻撃を仕掛けることが可能になった。
4番船船長|アバロ・ピサロ(悪政王)
元インペルダウンLEVEL6の囚人であり、「悪政王」の異名を持つ極悪人。
かつては王として君臨していたが、悪政の果てに国を追放された過去を持つ。
彼は野心家であり、黒ひげ海賊団内でも権力を求める傾向が強い。
「シマシマの実」の能力者であり、島全体を意のままに操ることが可能。
これにより、戦場をまるごと支配し、地形そのものを武器として利用する。
5番船船長|ラフィット(鬼保安官)
ラフィットは元西の海の保安官でありながら、その冷酷な性格と残虐な手段から「鬼保安官」と恐れられた。
彼の経歴は謎に包まれているが、海軍の秩序を乱す行動が原因で保安官の座を追われた可能性が高い。
その後、黒ひげ海賊団に加入し、船の操舵手としての役割を担うとともに、敵を翻弄する戦略家として暗躍する。
彼の最大の特徴は催眠術であり、言葉や視線を利用して敵を操ることができる。
この能力を用いてマリンフォード戦争では海軍元帥センゴクの目の前で黒ひげを王下七武海に推薦するなど、計算された立ち回りを見せた。
優雅な態度を崩さず、柔らかい物腰の裏には残忍な本性が隠されており、黒ひげ海賊団の中でも最も謎めいた人物の一人といえる。
6番船船長|カタリーナ・デボン(若月狩り)
黒ひげ海賊団唯一の女性幹部であり、「若月狩り」の異名を持つ凶悪な犯罪者。
インペルダウンLEVEL6に収監されていたほどの極悪人であり、かつては美しい女性だけを狙い殺害していたという異常な趣向を持つ。
残忍な性格は現在も変わらず、戦場においても敵を嬲ることを楽しむ傾向がある。
彼女は「イヌイヌの実 モデル:九尾の狐」を食べた能力者であり、変身能力を駆使して相手を欺くことが得意だ。
この力により、黒ひげ海賊団のスパイ活動や策略戦において重要な役割を果たしている。
ワノ国編では、その能力を使って潜入や敵の撹乱を行った可能性もある。
彼女の性格は冷酷無比であり、仲間でさえも信用していないように見えるが、黒ひげへの忠誠は揺るがない。
その異常な嗜好と能力の組み合わせにより、黒ひげ海賊団の中でも特に危険な存在として知られている。
7番船船長|サンファン・ウルフ(巨大戦艦)
サンファン・ウルフは、インペルダウンLEVEL6から解放された巨人族であり、「巨大戦艦」と呼ばれるほどの規格外の巨体を誇る。
普通の巨人族よりもさらに巨大であり、海に浮かぶだけでその存在が脅威となるほどだ。
彼は普段はおっとりとした印象を与えるが、その戦闘能力は非常に高く、一度暴れ出せば手がつけられない。
「デカデカの実」の能力者であり、すでに巨大な体をさらに巨大化させることができる。
この能力により、彼の攻撃範囲は広大となり、都市をも破壊できるほどの威力を誇る。
戦場においてはまさに圧倒的な存在感を放ち、黒ひげ海賊団の大規模戦闘において要となる存在だ。
しかし、巨体ゆえに水に浸かるリスクが大きく、能力者であるがゆえに海への耐性が低いことが弱点といえる。
8番船船長|バスコ・ショット(大酒のバスコ・ショット)

引用 ワンピース公式サイト
バスコ・ショットは、LEVEL6の囚人の一人であり、常に酒を飲み続けている狂人である。
「大酒のバスコ・ショット」という異名の通り、常に酔っているような状態であり、まともな会話すらままならないことが多い。
しかし、その戦闘能力は極めて高く、暴れ出した時の破壊力は計り知れない。
彼は「グツグツの実」の能力者となり、溶岩を操る力を得た。
これにより、戦闘では周囲を焼き尽くす猛攻を仕掛けることが可能となった。
酔っ払いながらも本能的な動きで敵を翻弄し、強大なパワーと炎を駆使して圧倒するスタイルを持つ。
彼の気まぐれな行動は時に仲間にとっても厄介なものとなるが、黒ひげはその凶暴性を買い、彼を海賊団の主力メンバーとして重用している。
9番船船長|ドクQ(死神)
ドクQは黒ひげ海賊団の船医でありながら、医者とは思えないほど異様な雰囲気を持つ。
彼は常に病弱な体を引きずり、死神のような風貌をしているが、その外見とは裏腹に恐るべき毒使いである。
彼は「シクシクの実」の能力者として相手に病を植え付けることができ、その能力を使って戦場全体に混乱をもたらすことが可能だ。
さらに、彼の相棒である馬のストロンガーも同様に病弱でありながら、ドクQの指示によって意外なほどの俊敏な動きを見せることがある。
ドクQの戦闘スタイルは、相手を直接攻撃するのではなく、病気や毒を撒き散らし、戦況を支配するというものだ。
彼の存在は、敵にとっては見えない脅威となり、じわじわと戦力を削る役割を担っている。
10番船船長|クザン(青キジ)
クザンは元海軍大将であり、世界政府の最高戦力の一角を担っていた。
しかし、赤犬ことサカズキとの決闘に敗れた後、政府を離反し、黒ひげ海賊団に加入した。
彼がなぜ黒ひげの仲間になったのか、その真意は未だに不明である。
彼は「ヒエヒエの実」の能力者であり、極低温の氷を操ることで、広範囲の敵を瞬時に凍結させることが可能だ。
かつてはルフィや白ひげ海賊団とも対峙し、その実力を見せつけた。
現在、黒ひげ海賊団に属しているが、彼の目的は単なる忠誠ではなく、より大きな計画の一部である可能性がある。
黒ひげの目的を知りながらも、彼の野望に加担しているのか、それとも裏で何かを企んでいるのか、その動向は世界中の海賊や海軍の注目を集めている。
黒ひげのモデル エドワード・ティーチとは?まとめ
- エドワード・ティーチは18世紀初頭に実在したイギリスの海賊
- 「黒ひげ(Blackbeard)」の異名を持ち、恐怖の象徴として知られる
- スペイン継承戦争後に私掠船から海賊へと転身
- フランスの奴隷船を拿捕し「アン女王の復讐号」と改名
- 40門の大砲を搭載し、圧倒的な火力を誇る海賊船を所有
- サウスカロライナ州チャールストン港を封鎖し、植民地政府を脅迫
- イギリス政府の恩赦を受けるが、裏で海賊行為を継続
- ノースカロライナ州のバースに潜伏し、総督と密約を交わす
- 1718年、イギリス海軍のロバート・メイナードによって討伐される
- 戦闘中に5発の銃弾と20以上の刀傷を受けながらも戦い続けた
参考にしたブログ、youtube